姫路歴遊会
                           

JRふれあいハイキング「姫路5人おんなの恋物語にせまる」、平成29年2月19日(日)、活動報告

本日2月19日(日)、姫路の歴史を鮮やかに彩る姫路5人おんな(富姫、お菊、千姫、お夏、高尾太夫)の数奇な運命とその恋物語について、ゆかりの地を巡るハイキングを催行しましたところ、東は京都、西は岡山から6人の皆さまが参加されました。
姫路には熱く激しく恋に燃えた女性がたくさんいましたので、今回は、その代表的な5人の足跡をたどり、恋物語に思いを馳せられたことと思います。


変貌したJR姫路駅の北側です。人間にやさしいトランジットモールはいかがでしょうか。
長壁神社。天皇家の争いに巻き込まれ、播磨に流罪となった「富姫」は、播磨郡司の妻となり、父・刑部親王の冥福を祈りました。泉鏡花の戯曲「天守物語」が有名です。
また、毎年6月に「姫路ゆかたまつり」がこの神社を中心に開催されます。
十二所神社(お菊神社)。日本三大怪談のひとつとして知られる「播州皿屋敷」。姫路城の乗っ取りと城主の毒殺を阻止した「お菊」。しかし、それが露見し、無実の罪をきせられ、井戸に投げ込まれました。その井戸から皿を数える声が・・・。
姫路城西の丸を望む。徳川家康の孫・千姫は、大坂夏の陣の翌年、桑名藩主であった本多忠政の嫡男・忠刻に一目ぼれして再嫁し、忠政が姫路に転封となるに伴い姫路城にやってきました。
二人の子どもを授かり、生涯で最も幸せな10年を姫路城で過ごしました。
但馬屋跡。但馬屋の娘・お夏は奉公人の清十郎と深い恋仲となり、身分の違いにより悲劇を招きます。清十郎は無実の罪で処刑、お夏は狂乱したそうです。
やがて、井原西鶴の「好色五人女」の第1巻を飾る「姿姫路清十郎物語」の骨格となっています。
お夏清十郎の比翼塚は、野里の慶雲寺の境内に建てられています。
好古園の前で。第35代姫路城主・榊原政岑は、江戸新吉原の高尾太夫を2500両もの大金で落籍して側室とし、現在「好古園」となっている「西御屋敷」に住ませました。しかし、当時は質素倹約のとき、幕府の怒りにより越後高田に転封(高尾太夫も同行)。
毎年6月に開催される「姫路ゆかたまつり」は、姫路を去ることになった政岑が自らゆかた姿で高尾とともに城下に浮かれ出たと伝えられています。
江戸時代のメインストリートを北上すると中曲輪の大手門であった中之門跡。門跡の南側の国道2号線は、大正元年(1912)に中濠を埋め立てて造られました。
家老屋敷跡公園。このあたりには筆頭家老の屋敷があり、幕末には姫路藩酒井家の筆頭家老・高須隼人の屋敷があったと伝えられています。

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